5歳から父親のインテリアデザインの仕事につれだされ、各ハウスメーカーの家、工務店の家、店舗や施設などを幼少期から見る機会にめぐまれました。機会にめぐまれれば自然と建築に興味がわき、間取りや使用材料について調べるような子供でした。
その結果、外観を見ただけでどこのメーカーの家で、どれくらいの価格なのかもわかり、建物内を見れば実生活でつかいにくいであろう箇所に違和感をおぼえるまでになりました。そうなれば自分で設計してみたい、建築してみたいと思うのに時間はかかりませんでした。
独学で建築を勉強して21歳で建築士の資格を取得。その後、大阪万博のパビリオンを手掛けた先生に師事して設計のイロハをおそわりながら50棟の住宅団地設計の主幹事に就任するなど、年間300棟の住宅設計にたずさわる。
25歳で独立し、設計とリフォームアドバイザーをおこなうなかで、あらためて建築業界の悪しき習慣や数十年居住した住宅の問題点を感じとり、30歳で宅地建物取引士の資格を取得し、土地を購入して注文住宅をするときの不安を解決した「土地+注文住宅」を企画販売する。
設計は、つねに10年20年後を考えた「住む人のための家」を基本としている。いままでに読んだ建築書籍は10,000冊、建築探訪した歴史的建築物や古民家は300カ所、手がけた住宅設計と建築は1,000棟にのぼる。
建築家30周年をむかえるにあたり、医者にかかり薬を使っても改善しなかったアトピー性皮膚炎で悩んだ10代の頃をふりかえり、私のように「環境をととのえる」ことで少しでも発症をおさえ症状を軽減させる家づくりを提唱中。
追伸。
当時つかっていた強い化学薬剤を疑っていますが、小学生のころから頭髪に白髪が混じり、30歳で頭髪全体にひろがりロマンスグレーヘアーになりました。ねんれい相応にみられるために髪を黒く染めればいいのですが、薬品を使用すると肌荒れがおこるので、なかば強制でナチュラリストになっています。
Yo-Sea(よーしー)
本名:黒野芳明
1973年、名古屋生まれ、犬山育ち。21歳で、建築士を取得。住宅専門の設計事務所で修行し、年間300件の設計に携わる。1996年、丸昌株式会社の前身である、有限会社丸昌インテリアの取締役に就任。1997年、設計事務所を開設し、管理者になる。2000年~2001年、建設業、不動産取引業の事業を立ち上げる。2003年、丸昌株式会社の代表取締取締役に就任し、土地販売と設計から工事までを一気通貫させた住宅を企画販売。2012年、設計事務所と工務店を現在の場所に移し、プライベートスタイルの注文住宅専門店を運営中。10,000冊の建築書籍を読破し、手がけた住宅は1,000棟にのぼる。取得資格は、一級建築士、宅地建物取引士、二級小型船舶操縦士。趣味は釣り。